2014年1月28日火曜日

「若者と労働」

最近読んだ本を紹介したい。

「若者と労働『入社』の仕組みから解きほぐす」濱口桂一郎(中公新書)。漠然と、現在の日本の労働環境に関する内容を予期していたが、本書は、歴史的経緯を踏まえつつ現在の課題を浮き彫りにしている。欧米共通の労働原則である「ジョブ型」と、実際には日本の労働原則である「メンバーシップ型」とを対比しつつ、加えて日本での労働関連法制が「ジョブ型」の原則で成り立っていることから引き起こされる齟齬が、日本を取り巻く労働関連の課題の大きな要因であるとの指摘は、強い説得力をもつ。近年、若者の就活問題がクローズアップされているが、日本は実は「若者が仕事に就きやすいシステムである(あった)」という説明は、眼からウロコであった。

以下、引用する。
―日本の労動に関する法律は欧米諸国と共通のジョブ型の原則で作られています。しかし、現実の労働社会はそれとは全く異なるメンバーシップ型の原理で構築されています。
そのままでは両者の隙間が大きすぎて、法律を適用しようとすると現実に合わないという悲鳴があちこちで上がってしまいます。
これは「入社」という入口だけの問題ではなく、会社に入ってからの人事異動にしても、労働条件にしても、解雇や定年退職といった会社からの出口にしても、すべてに関わってくる問題なのです。
そこで日本の裁判所は、さまざまな事件に対する判決を積み上げる中で、解雇権濫用法理や広範な人事権法理など、判例法理といわれるルールを確立してきました。それは、ジョブ型雇用契約の原則に基づく法体系の中で、現実社会を支配しているメンバーシップ型雇用契約の原則を生かすために、信義則や権利乱用法理といった法の一般原則を駆使することによって作られてきた「司法による事実上の立法」であったといえます。
 そして、これら判例法理が積み重なり、確立するにつれ、日本の労働社会を規律する原則は、六法全書に書かれたジョブ型雇用契約の原則ではなく、個々の判決文に書かれたメンバーシップ型雇用契約の原則となっていったのです。―
―日本型雇用システムの新規学卒採用方式は、「企業に採用してもさしあたっては何の役にも立たないような、職業経験も知識も何も持たないような」新規学卒者を好んで採用してくれるという意味では、まさに新規に学校を卒業しようとしている若者にとっては大変ありがたいシステムではあります。
しかし、たまたまその時期に就職氷河期にぶつかってしまい、縮小する正社員就職の枠に入り損ねてしまったかつての若者にとっては、そしてそのまま正社員になれずフリーターとして年を重ねていった年長フリーターたちにとっては、せっかく景気が回復して求人が増えてきているにもかかわらず、それが自分たちより年下で、職業経験もない新規学卒者にみすみすその求人をとられていくという過酷なシステムでもあったわけです。
ここにも、ある種の「若者の味方」論者の喧伝するところとは逆に、若者の方が得をし、中年に近づくほど不利益を被るという、日本型雇用システムのありようが垣間見えるといえるでしょう。―
―過去二〇年間の推移を一言でいえば、「メンバーシップ」型のシステムが縮小変容しつつもなお主流のコースとして厳然と存在する一方、そこからこぼれ落ちた人々は家計補助的であることを前提とした非正規労働という、欧米諸国のジョブ型労働者の水準にも到底及ばないような低劣な処遇に追いやられていく、労働市場の二極分化が進んでいったと言えましょう。―

また、著者は、日本での就活やキャリア教育についても言及している。以下引用する。
―実際、日本で例外的にジョブ型労働社会を形成している医療分野では、医師にせよ、看護師にせよ、その養成課程の中で、その職業に即した「望ましい職業観・勤労観」が何らかの形で教えられています。これこそジョブ型社会の「キャリア教育」です。
ところが、日本で過去十数年間熱心に取り組まれてきたキャリア教育とは、そのような前提がない社会に向けて発信されてきた概念です。特定の職業を前提としない、前提にしようにもしようがない、そうした社会で育ってきた生徒や学生に対して、具体的な職業というよりどころの全くないまま、ただ「望ましい職業観・勤労観」や「職業に関する知識や技能を身につけさせる」ことを求めてきた概念です。ジョブ型社会から見れば、ほとんど冗談にしかとれないような空疎な「キャリア教育」です。―
―再三引用しますが、今野晴貴氏(引用者注 若者たち自身の手で若者の労働問題に取り組んでいるNPO法人「POSSE」代表)は『ブラック企業』の中で、就職活動がブラック企業現象を若者に受け入れさせる土壌になっていると指摘しています。就職活動を通じて若者がある種の「洗脳」を受けさせられているというのです。第3章で「職」に「就」くのではないのに「就職活動」と呼ばれている日本的な人間力「就活」の問題点を述べましたが、今野氏の紹介する事例は、そこで求められる「人間力」の奇怪さをよく示しています。
日本の就職活動では、「何が採用の基準になっているのか」がはっきりしないため、不採用とされた学生はひたすら自分の内面を否定し続けることを求められます。象徴的な言葉が「自己分析」で、生まれた時からこれまでの態度、自分がどういう人間であるのか、こうした抽象的な次元で自分自身を否定し、企業にどうしたら受け入れてもらえるのか考え続けさせる、ある種の精神的な試行錯誤、自己変革が求められるというのです。
ジョブ型社会であれば、具体的な職業能力がないために不採用になったのであれば、それを改善するために職業訓練を受けるという建設的な対応が可能ですが、メンバーシップ型社会的な全人格的評価で自己否定することを求められるということは、「自分が悪い」という一種のマインド・コントロールに若者を陥らせていくということでしかありません。こうして不採用の理由がわからないまま「自己分析」を繰り返させる「人間力」就活が、ブラック企業を生み出しはびこらせる土壌になっているという今野氏の指摘は鋭いものがあります。―

以前本ブログで紹介した「キャリア教育のウソ」とも通ずる(著者である児美川孝一郎氏は本書にも登場する)内容である。日本の労働環境、ひいては日本の経済システムが直面する課題については、こういった冷静な分析を踏まえて対処すべきなのだろうと感じた。

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